【ご報告】渋谷キャスト トークイベント「Urban Catalyst Vol2 アーバンコアは渋谷に新しい風穴を開けられるか 」
先日6/14に行われた Urban Catalyst Vol2のリポートです。
当日は、シアターワークショップ代表、伊東正示がファシリテーターをつとめました。
ゲストに東京大学名誉教授の内藤廣さんをお迎えしました。
プロフィール
早稲田大学理工学部建築学科、同大学院修士課程修了後、フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所(スペイン・マドリッド)、菊竹清訓建築設計事務所勤務をへて、
1981年内藤廣建築設計事務所を設立。2001年東京大学大学院工学系研究科社会基盤工学助教授、2002〜11年同学研究科社会基盤学教授、2007〜09年グッドデザイン賞 審査委員長、2010〜11年東京大学副学長、2011〜東京大学名誉教授。
内藤さんは建築家であり、渋谷駅周辺の再開発に長年携わり、現在は東京メトロ銀座線、渋谷駅の設計も手がけていらっしゃいます。
本日はこちらのお二人に、都市×渋谷の視点についてを中心に、トークセッションを行っていただきます。
内藤さんと、シアターワークショップ代表・伊東は大学時代の先輩、後輩であり、独特の間でゆったりとした中にも深いお話が展開されました。
伊東
「内藤さんと僕は大学の先輩、後輩なんですけど、僕のイメージでいうと内藤さんが悪代官、僕が越後屋。内藤さんが造るホールはいつも僕たちお手伝いさせて頂いていて、だいたいプロポ負けるんですけど、時代の先を行き過ぎちゃうんですかね?」
内藤
「いや、裏ルートを使わないんで。正々堂々とやり過ぎてる。」
伊東
「内藤さんは建築家で「も」あるから。」
内藤
「さっきも俺の紹介したのだれ?建築家で「も」あるって。建築家なんだけど。いろんなことに巻き込まれるんだけど、僕が建築家だって思ってる人はほとんどいないですよね。」
伊東
「国の委員会に呼ばれたりとか、そんな仕事がすごく多いでしょう。」
内藤
「本当はそうのもきれいさっぱり辞めて、建築家に戻ろうと思ってたんだけど、最終講義の日が2011年の3月11日で、被災地から頼まれたら断らないって原則だけ決めて。
頼まれなくても被災地に月いっぺんは必ず立つって決めてやってたら、結局16個の委員会の委員をするはめになって、国と、岩手県と、あと地元と。そういうのに巻き込まれて。最近ようやく減ってきたけど。」
伊東
「大学院が吉阪隆正先生のところですよね。」
内藤
「僕の人生変えたのはあの人ですから。教育者としてともかく素晴らしい人だったと思います。いまだに皆さん吉阪先生のこと語ると熱くなりますけど、都市とか世界のことを語れる、ほぼ当時唯一。
吉阪さんはどういうことがあっても人間の側から発言をするっていう人だったので、そこで薫陶を受けたことが今にも至ってるなと思いますね。」
伊東
「なぜ東大へ行ってしまったのか。早稲田を離れて。それも、土木に行ったんですよね。」
内藤
「僕は売れない建築家で、いろいろ褒められて、大学に来てくれないか、とかいくつかあったんですよ。
でも嫌だったんですよね。作ることに専念したい。そうこうしてるうちに東大の土木の篠原さんとプロジェクトを通して知り合って、来てくれないかと。建築学科であれば、行かなかったと思いますが、土木っていうのは面白いなと。東京大学開校以来、土木で外から人を呼んだのは二人目くらい。廣井さんていうコンクリート工学の人以来ということで、それは面白いと。十年くらい捨ててもいいかというくらいのつもりで行きました。」
この国を動かしてるのははっきり言って土木です。
「大学の勢力図で、いっときは土木は衰退していて、僕はそれで呼ばれたっていうのはあるんですけど、この国を動かしてるのははっきり言って土木です。これはもう、しょうがない。例えば、一番中心だったのが、防潮堤の高さを決める委員会だったんですよ。これが非常にきつかった。委員会委員は学識経験者で10人くらいいるんですよ。こっちかたに県の職員が100人くらい聞いてるわけですよ。だけど、はたと気がつくとね、建築やってんのは僕だけなんですよ。全員で、オーディエンス含めて。ほとんど土木です。僕がその他で委員長やる時はできるだけ建築の人に入ってもらったりしましたけど、ほとんどいないですね。」
建築から土木に移ったことで、かなり幅が広がったそうです。
そして、話は渋谷とアーバンコアへ移ります。
ビルの中に入ったら人が見えない。街側に引っ張り出してこなきゃだめだ
内藤
「小泉政権の時に、渋谷の都市再生緊急整備地域のガイドライン作成に関わったんです。東京いろんなところでやってますけど、渋谷区はどういう街にするのか決めなきゃいけなかったんですよ。で、なって、見てて、あーって思った。このままじゃ渋谷滅びるわとおもって。
渋谷は派手だけど、ビルの中に入ったら人が見えない。
中で何やってるかわかんない都市だというので、街側に引っ張り出してこなきゃだめだっていうことを言って、それで僕がアーバンコアみたいな話をしたんです。低層部の上下動線を街側に引っ張り出して来るっていう、かなり強引な話をして。それをガイドラインの中に盛り込んでもらって、再開発する前提条件の一つにしてもらったので、事業者としたらそれをやらざるを得ないわけです。」
伊東
「ヒカリエの向かって左側に円筒形の空間ありますよね。あれがアーバンコアですよね。」
内藤
「ヒカリエがやってくれたことで、アーバンコアっていうのも議論の的になって、それぞれの大工の人も本気でやらにゃいかんて気分になってくれたと思います。
何回もデベロッパーの人は「アーバンコアを定義してください」って言うんだけど、僕は「やだ」と。じゃあどこに判断基準があるんですかって言うと、おれの頭の中だけにあると。書かない。どうやったら内藤の頭の中を満足させるような形になるか、君たちが忖度しなさいと。
こういうものですってやるとみんな型どおりにやるわけじゃないですか。渋谷はそれじゃつまんないと思った。個性的なアーバンコアがたくさんあることによって、人がそこを渡り歩く時に違う空間体験をして渋谷が出来上がってくるっていうのがいいんじゃないかと、敢えてそういうふうにやってきました。」
責任主体がしっかりすれば、イベントはできる
伊東
「アーバンコアは、機能としては動線空間なんですか。」
内藤
「特に低層部、地下から2,3階までを結ぶ縦動線をアーバンコアと一応呼んでいて、様々です。もっと街側に低層部の縦動線を引っ張り出す、とう話だから言ってみると迷惑な話だと思いますよ。経済的にも非効率だし、すいません、デベロッパーの方。渋谷のためですから。」
伊東
「一番人通りの多いところだから、そこでいろいろイベント仕掛けたいなっていうのが我々運営者側の意図なんですけどね。」
内藤
「問題はね、事故が起きたときどうするんだとか、誰が責任取るんだとかあるんですよ。それに関してはですね、五年くらい前ですけど、街づくり調整会議っていうので、僕が強力に言って、エリアマネジメント協議会っていうのを立ち上げてもらったんです。管理運営の問題なので、エリアマネジメントがしっかりしてれば、そういうイベントを打てるようになると思うんです。責任主体がそこになるから。」
バラックじゃない超高層なんてあるんですか
内藤
「まぁ、超高層って、いつまで建ってるかわかんないじゃないですか。意外と命短いかもしれないと思ってるのね。
昔、9.11のあとに、あれは構造的にバラックだと。だからああいう崩れ方をするって話を林昌二さんっていう日建作った人にしたら、「バラックじゃない超高層なんてあるんですか」って。要するに経済効率を追うわけですからね。
昔、エンパイアステートビルに軽飛行機が突っ込んだことあるけどビクともしなかった。
今の超高層は経済原理と極限まで詰めるので、基本的にはバラックですよね。
ただ、都市とか全体を差配する立場で、超高層がだめになって街がだめになることだけはやめにしたいと思っていて、それはやっぱり低層部の作り方と周辺の街の作り方で、文化なり、いいものが根付いていれば、実は超高層じたいも滅びる期限を延ばせるし、街ができなきゃただのビジネスモデルが立ち上がった蜃気楼で潰れると。」
渋谷の「胃袋」はけっこうでかい
伊東
「渋谷って、裏通りの楽しさとかそういうので感じてる方が多いんじゃないかと思うんですけど、それが再開発かかっちゃうと、失われちゃうと思うんですけど。」
内藤
「僕は、渋谷の「胃袋」はけっこうでかいと思ってるんですよ。元々は150年、渋谷村で、大したことなかったんですよ。それが、いろんなものを受け入れて、こういう風になってきたっていう変化が激しいですよね。
戦後は代々木公園の進駐軍の人が流れてきて文化を作っていくとか、歴史的なダイナミックなものを受け入れて変わっていくのが渋谷だと考えると、あんまり保守的に考えるのもね、っていう気がしています。
サイバー特区のモデルとかバカバカしいけど、そういうものを受け入れて、大きな胃袋でどう消化していくかってのが渋谷かなって思っていて。僕はいくつも街を見てますけど、渋谷は生き延びれると思いますよ。今のまんま、みんな盛り上げてる感じでいけば、ある種の混乱はあるかもしれないけど、生き延びれる。そのストーリーに乗ったなっていうのはあります。」
産業は人間生活の竈でしかない。
内藤
「皆さんにしたい話があるんですけど、石川栄耀って知ってますか?
偉い人で、人間的に素晴らしい。石川栄耀の話を読んでたんですよ。そしたらね、1923年にヨーロッパに視察に行くんですね。田園都市をやったレイモンド・アンウィンという人に会って、名古屋のマスタープランかなんかを見せてアドバイスを受けるんですが、素晴らしいのでちょっと読んで聞かせますね。
「君たちの計画は尊敬はします。しかし、私に忌憚なく言わせれば、あなた方の計画は人生を欠いている。私の察しただけではこの計画は産業を主体においている。いや、産業そのものだ。なるほど、竈の下の火が一家の生命の出発点であるように、産業は立都の根本問題であろう。それに対しては何も言わない。しかし、例えてみても、一家の生活においても竈の火はたかだか一時間で消される。そして、それからあとは愉快な茶の間の時間が始まるはずだ。
産業は人間生活の竈でしかない。難しく言えば、それは文化生活の基礎である。でも軽い言葉で言えば、文化の召使いである。あなた方は、サーヴァントに客間と茶の間を与えようとしている」
と言ってるんですね。要するに、ビジネスとかそういうものは、文化の召使いなんですよ。これを忘れちゃいけない。
産業の余剰みたいなものが文化だと考えていて、再開発もちょこちょこっと文化施設を作ればいいかとか、ちょこちょこっと何かやればいいと思っているデベが多い。今日も多いと思いますけど、そうじゃない。それは文化の召使いなんだって思い返して欲しい。」いいこと言うでしょ?」
伊東
「素晴らしい。」
内藤
「石川栄耀をもう一回見直さなきゃいけないかなって僕は思ってます。すごい偉い立場でありながら、盛り場の研究をやったりとかね。皆さんが知ってる中野のサンロードも、浅草の仲見世も、新宿の歌舞伎町の広場も石川栄耀ですよね。
「都市の味」なんてことを平気で言うんですよ。渋谷の味はなんですか、新宿の味はなんですか。みんなで語り合わなきゃいけないですよね。」
ザギトワ感が無い
内藤
「最近ね、ザギトワ感が無いって、こないだ東京都でも言ったから東京都でもぼちぼち流行り始めて。
何かっていうと、宮原知子ってのがいましたよね。ケガをして苦労して、すごい真面目なことをちゃんとやって、そういう努力を一瞬にして無にするようなザギトワってやつが出てくるわけですよね。
僕ね、都市に求めるのはそれだと思うんですよね。
いくら真面目に積み上げてちゃんとやりましたと言ったって、そこを訪れる人はそんなものに感動しないんだよね。
だから、ザギトワ感が足りないと、いろんなところで言って回ってるんですけどね。」
最後に、品川の新駅名を募集されているということで、内藤さんは「ザギトワ駅」をご提案されていらっしゃいました。
土木は、森羅万象を相手にしてる
建築と土木との融合についてはこのように述べられました。
「建築と土木ですけど、土木はですね、森羅万象を相手にしてるんです。土質研は土砂崩れ、河川研は河川の氾濫、海岸研は津波をどう考えるかとか、自然界が人間に対してアタックしてくるものに向き合ってるんです。大乗仏教的なんですよ。他者を救うことで自分が救われるって考え方。建築は、私とはなんだろうっていう心の中を通ってるわけですよ。これ小乗仏教的なんで、なかなか文化相容れないんですよ。
そうは言っても、三陸であれだけのことがあったら、いいところを組み合わせないと救えないはずなんだけど、官僚的にやっちゃったんですね、全部。
もうしばらくして南海トラフが来たら、こないだの3.11の15倍と言われているので、新しい時代の枠組みとかプロフェッションを考えないと国が成り立たないっていう事態がもうしばらくすると来るので、そしたら変わるんじゃないかなと。口で言っても変わらないから。」
弊社では、劇場だけではなく、まちづくりやコンテンツ制作など様々なキーマンからお話を伺う機会を積極的に作り、今後の業務に活かして参ります。